今秋のNHK朝ドラになる、ニッカウヰスキー創業者
日本のウイスキーの父 竹鶴政孝物語
第十回
「あの会社は、林檎の汁を搾ってるそうだ」
「見栄えが良くない林檎でも、買ってくれるんだとよ」
積丹半島・余市の町は林檎ジュースの話で持ちきりであった。
工場の敷地は、林檎の山で甘美な香りが充満していた。
ウイスキーは蒸溜してすぐに売れるわけではない。
また設立直後で、資金は不足していたし、製造体制も未完であった。
だがジュースなら、割砕機や圧搾機があれば林檎を砕き、搾ってビン詰めすれば商品になる。
そのジュースを売りながら、ウイスキーをつくることをもくろんだ。
しかし、今でこそ林檎ジュースはあたりまえだが、ペクチンが凝固して白濁したり、味覚的にも一般に受け入れてもらうには早すぎた。
思うようには売れず、工場には返品の山ができ、経営的には本筋のウイスキーづくりにも影響がでた。
「このままでは株主の皆様に、顔向けができない」自らの不甲斐なさになさけなくなった。
政孝の他、旧知の加賀正太郎、芝川又四郎、柳沢保恵らが出資者である。
「資金のことは心配無用です。竹鶴さんは1日も早く本格ウイスキーをつくってください。」筆頭株主、加賀の言葉に後押しされて、原酒をつくり続けた。