NHK朝ドラのモデル、ニッカウヰスキー創業者

 

日本のウイスキーの父 竹鶴政孝物語

 

 

 

第十四回

 

 

 

 戦後の自由競争に戻ると、三級ウイスキーつまり粗悪なイミテーション・ウイスキーが世に出回り、飛ぶように売れた。

 

 当時の三級ウイスキーの多くは、原酒の割合も低く、アルコールに色と香りを添加した程度のもので、はなはだしいのは、まったく原酒の入っていないものすらあった。

 

 そんな中で経営は苦しかったが、政孝は自らの命脈を断つようなことには手をそめなかった。

 

確固たる信念で、品質を第一に考える姿勢を決して崩そうとはしなかった。

 

 身も細るほどに呻吟の日々が続いた。さりとて妙案があるわけでもなかった。

 

 

 

 慚愧に堪えない心の中を、全社員を集めて窮状を伝え、5パーセントという、限界いっぱいの三級ウイスキーを不本意ながら出すことを告げた。

 

いつしか会場にすすり泣きの嗚咽が充ち、檀上の政孝も流れでる涙をぬぐおうともせず、社員ひとりひとりを睨み続けた。この時全社員と政孝の

 

心はひとつにつながった。

 

 政孝は、たかぶりにまかせて力一杯テーブルを叩き、「諸君、ニッカウヰスキーの誇りを堅持しようではないか。

 

今まで本格ウイスキーをつくってきたことを、決して忘れないでほしい」

 

 暫く静寂が支配した。1950年初夏、余市川岸辺の葦はまだ茶色であった。

 

 

 

 

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