今秋のNHK朝ドラになる、ニッカウヰスキー創業者
日本のウイスキーの父 竹鶴政孝物語
第八回
出会いとは不思議なものである。リタの弟ラムゼイが柔術を習わなかったら、二人は出会わなかった。
そして、スコットランドで軒並み蒸溜所を訪ね歩いたことが寿屋(サントリー株式会社の前身)鳥井信治郎の来訪を受けることにもつながったのだから。
本格ウイスキーの到来を確信していた鳥井は、日本での製造にむけてウイスキーの権威、ムーア博士に技術指導の打診をしていた。
「日本には若くて優秀な、スコッチ・ウイスキーの技術者がいるではありませんか」
ムーア博士の意外な言葉に鳥井は驚いた。
「日本人ですか」
「そう、竹鶴政孝という青年です。」
鳥井はウイスキーづくりを知っている唯一の日本人である政孝を好条件で遇した。
設備の設計を始め、現場を任された政孝はウイスキーづくりに没頭する日々を過ごした。
そして、1929年、ロングモーン蒸溜所研修から数えて十年目、日本初の本格ウイスキーを世に送り出した。
「あなた、おめでとうさん」
関西弁をまじえてリタが精一杯の祝福をした。
「やっとできた。ありがとうリタ、君のおかげだよ」